【本練羊羹】
現在主流の羊羹は水飴や白ザラメを使用したものですが、本品は水飴を使用せず、当時の製法で仕上げられています。 原材料は上白糖、小豆生餡、寒天のみ。やや硬めで仕上げた当時の食感をお楽しみください。
海軍羊羹とは
明治時代からさかくらの和菓子は、海軍御用達品でした。
長期保存できる甘味品を望んでいた海軍から依頼を受け、開発された羊羹を当時の味のまま再現したものが、「海軍羊羹」です。
現在主流の羊羹は、水飴や白ザラメを使用したものですが、本品は水飴を使用せず、当時の製法で仕上げました。
やや硬めで仕上げた当時の食感をお楽しみください。
海軍とさかくら総本家
※横須賀所属の戦艦長門(1/200)
海軍は横須賀をはじめ、呉 佐世保 舞鶴に鎮守府を設置しており、さかくら総本家は出張所を設け、製造した和菓子を各鎮守府に納めておりました。
鎮守府に納められた後、横須賀所属の戦艦長門など、各鎮守府所属の艦にも乗せられ、艦内の販売部署である
酒保や鎮守府、海軍工廠などの購買所でも販売されておりました。
また売店のみならず、公式行事や会食などの席でも塩煎餅をはじめとしたさまざまな和菓子をお使いいただきました。
50年前の缶詰ようかん 昔のままの味 戦火くぐった旧海軍用
横須賀で〝試食会〟
五十年前のかん詰めを開ける坂倉等さん=横須賀市内の結婚式場で
旧日本軍が遠洋航海で使用したヨウカンのかん詰めの一つが十三日、横須賀市内の結婚式場で五十年振りに開かんされた。ヨウカンは全く変質しておらず、〝試食会〟に立ち会った当時の製造業者ら約二十人は、昔懐かしい味をかみしめていた。
このヨウカンは、横須賀市若松町三ノ十八、菓子製造業、坂倉等さん(七八)が昭和六年二月に製造、旧海軍の練習艦「出雲」、「八雲」の二隻に積み込んだ約千四百かんのうちの一つ。ちょうどこの日、長男の暢男さんが生まれたのを記念して三かんだけ保存していたもので、十年後と十五年後にそれぞれ一かんずつ開かんした。この時も製造当時そのままの味が保たれていたが、「はたして五十年後では…」と最後の一かんが注目されていた。
かんはブリキ製でたて二二センチ、横一六センチ、厚さ二センチ。重さはかんも含めて約一二〇〇グラムあった。午前十一時半、坂倉さんの家族や当時の関係者らが見守る中、坂倉さんが、ペンチでブリキかんを開けると、あざやかなあずき色のねりヨウカンが出てきた。味も保存もよくするためにやや甘みが強いが、手作りの独特のコクがあり、最近のものよりおいしいというのが大方の〝判定〟だった。
坂倉さんは「軍艦内の倉庫は温度が一〇〇度近くになることもあり、どんな悪条件にも変質しないように、ヨウカンや容器に特別のくふうをこらした。自信はあったが、やはり開けてみるまでは不安でした」とさすがにうれしそう。このヨウカンは現在の価格にすると約二千円ということだが、当時は一円。ビール一本(四合)が十二銭、パイナップルかんが一つ十銭という時代にしてはかなりの高級品。集まった人たちの間で、しばらく当時の食品談議に花が咲いた。
坂倉さんの家には、祖父の代から九十二年間も横須賀で菓子店を営んでいる老舗。現在は暢男さんに経営をまかせているが、「五十年も〝長生き〟したヨウカンを食べたのだから、ますます元気になりますね」の声に坂倉さんはニッコリしていた。
産経新聞 昭和56年3月14日付記事から転載
※実物の新聞記事(コピー)は各店舗に掲示
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横須賀鎮守府と横須賀の地図
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※明治初期の横須賀鎮守府
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※昭和初期の横須賀鎮守府